1999年4月 まったく警戒することもなく、人の目の前で生んでしまいました。 工房の人間に慣れたのは今年の初め、それまでは何年も手も触れさせなかったのにこの安心のしようにはおどろかされています。 真っ黒な1匹は育たず、緑の中に埋葬、他の2匹は元気にそだっています。 連休は猫騒動でした。 その後、親子の引越しがあり、今は半田道具の引出しの裏で育児に専念しています。 その後、また引越しをしました。 しかし、自然の摂理というか掟はきびしく残酷なものです。写真左側の子猫は突然オス猫に襲われ首を折られ、ほぼ即死。 右の子猫(顔が見えない方)も、また別のオス猫に襲われ連れ去られたのですが危うく奪回、入院1週間の後無事元気になりました。 |
|
|
|
工房の引出しに居た頃の 現Vちゃん この頃、まだろくに歩けないのに休み時間など”ニャニャ遊ぼっ”などと声を掛けるとヨタヨタと出てきました。 この人懐こさが後にオス猫にさらわれる原因にもなったようです。 |
|
動物好きな方はわかって下さるでしょうが、こんな眼で見つめ られるとどうしようもなくなるものです。 |
V ちゃん 元気になった子猫は 5月いっぱいで5年間勤めた工房を去ることになった箕口けい子さんが Vちゃんと命名。 おでこのVの字の模様がその由来です。 獣医さんの話では親に返せばかならずまたオス猫に襲われるとのこと。 引取り手を探しましたが、見つからず。 ついに須藤家の一員になった次第。 生まれたのが引き出しの中だったせいか、引出しが好きで、以前購入した骨董の小さな箪笥の引出しを住処にしています。 母親のビエンちゃんは毎日子供を探していましたがやっと忘れることができたようです。 工房で夕方ビエンちゃんを外に出すとき、Vちゃんとの境遇の違いが可哀想でなりません。 Vちゃんは初日から一回もトイレの失敗のない良い子です。すべてに興味深々な毎日です。 |
|
Vちゃんがうちの住人になって2ヶ月が経ちました。 元気過ぎて困るほど、目覚めの運動会、時には深夜の運動会が始まることもあります。 とにかく全て探検してみないと気が済まない性格です。 高いところに登るのも好きです。 相変わらず引き出しは大好きです。 最近はこの引出し9つ全部を開けたりします。 せっかく軽く開くように高価なレールを付けているのに、カタリナ学園での作業が終わったらばなにか仕掛けを付けなければならなくなりました。 |
1999年8月 家族で長野県菅平に避暑に行きました。 初めての自動車、初めての外出、最初はすごく緊張したけど向こうに着いたらば天国。 なにせ、去年の夏の平均気温が19.3度という場所、夜は布団にもぐりこまないと寒くてしようがありません。 帰りたくなかったけど、ご主人様のお仕事もあるし、また横須賀に帰ってきました。 |
|
1999年11月 ビエンちゃんがまた子供を連れて工房に現れます。 今回は工房内出産ではありませんでした。 2匹とも順調に育っているようです。 少しずつ馴れて近寄ってきます。 まだなでさせてはくれません。 Vちゃんの兄弟ですが、一緒に遊ぶことはないでしょう。 |
|
2000年2月 ビエンちゃんの子供たちも大きくなり、甘えるとビエンちゃんにつきはなされるようになってきました。 茶色の子猫はプー助 サバ縞の子はペー助 と呼ばれています。 ぺー助は抱っこもするのですが、ひどく痩せているのが気になります。 ブーちゃんが子猫たちの面倒をよく見ます。 |
|
Vちゃんには外の世界を教えないようにしています。 集合住宅に住んでいるのでいたしかたないのです。 外の様子を覗うVちゃんを見るとなんともかわいそうですが我慢してもらうほかありません。 テレビはこの番組「テレタピーズ」だけがお気に入りです。 他の番組は猫が出てこようが鳥が出てこようがまるで興味なし。 ただ、テレタピーズのときだけはじっとして画面を眼で追っています。 工房に来るVちゃんのママや兄弟も元気です。 |