親猫が保健所に連れて行かれてしまい、瀕死のところを助けられたそうです。 もう一匹の兄弟は助かりませんでした。 元気になってから不妊手術をうけて工房デビュー、付近で暮らしていました。 朝は必ず工房の玄関前に現れて一緒に中に入り、ほとんど一日を工房で過ごしていました。 長期の出張から戻るとちゃんと現れ「なぜこなかったのー」という感じでおこっている様子を見せました。 でも飢えていることは一度もありませんでした。 昼時には必ず現れて 強烈にお食事をおねだりしていました。 一度だけ1日半来なかったことがあり心配するほど常連だったのです。 なついていて抱っこが大好き、撫でてもらっていつもゴロゴロ言って幸せそうにしていました。 2001年12月25日出張からもどると、左胸に怪我をしていて化膿していました。 獣医さんに見てもらったところ、おそらくけんかしたのだろうとのこと、化膿止めと抗生物質をのませました。 この日から工房の中に保護して面倒をみることに。 大晦日になっても良くならないので再度受診。 貧血と脱水が始まっているので危ない状態とのこと。 怪我だけではなく他の感染もあるだろうとのこと。 入院も考えましが慣れた場所で安心して過ごすほうが幸せだろうと思い工房で薬を与えてお正月を過ごすことにしました。 しかし、その夕からえさも食べなくなりやっと水をすこし舐める程度。 薬をやるのも気の毒になり止めました。 ブーちゃん最後の散歩の記念 2002年1月3日 毎日、朝晩訪ねるとよろけながらも歩いて出迎えてくれます。 帰るときは最後の別れになるかと思いながら帰宅しました。 2日の夕には外に出たそうだったので少し散歩、外の空気をおいしそうに愛でて自分から工房の中に戻りました。 お正月3日の朝望んですこし散歩。 5、6歩歩いてはうずくまってしまいますが嬉しそう。 これが最後の散歩になりました。 その後は毛布に寝かせると自分から出ることも無くなりました。 抱いてやると幸せそうな目でこっちを見るのです。 夕訪ねると寝たまま、抱いてストーブで楽しかった頃の話をし、かわいがってもらった工房の人達の名を思い出して聞かせました。 夕食後再度訪問。 抱いて過ごすしていましたが、名を呼んでも返事がなくなり22時ころには昏睡状態になり呼吸をしているだけ。 24時まで抱いていましたが、「ごめんねブーちゃん一人にして、もうがんばらなくていいから・・」 と言って止む無く帰宅。 予想通り4日朝には息を引取っていました。 星のきれいな寒い夜に逝ってしまいました。 ブーちゃん危篤を知った渡辺夫人(ブーちゃん子猫を助けた)が来られたときには間に合いませんでした。 一緒に工房の敷地の隅に埋葬し水仙の花を供えました。 工房の空気をいつも和ませてくれたブーちゃんありがとう。 |
2000年12月はじめ、ぺー助君は皆に悲しまれて逝ってしまいました。 食事をしない日が3日ほど続き弱ってしまいました。
今までにもそのようなことが何回かあったので、また元気になるだろうと考えていました。 夜も工房内で寝るようにしてやっていましたがついに夜中に一人で死んでしまいました。
最後に水を飲もうとして砥石置場へ行って力尽きたようでした。 誰かが居るときであれば・・ |