S学院には ドイツWerner Bosch製(ヴェルナー ボッシュ)のオルガンがあった。
学院は耐震性などに問題があることをきっかけに校舎群の一新計画を進行中であった。
オルガンは完成後10年少し、学院の礼拝堂に設置されていた。オルガンは完成以来毎日欠かすことなく、学院の礼拝で使われてきた。 礼拝のために何人かの優秀なオルガニストを置いている学院である。 礼拝における音楽の音楽性を理解し重んじていることが感じられる。 毎日その環境で何年かを過ごす生徒たちは幸せなことだ。
礼拝堂は解体の後、同じ敷地に新築される。
その間オルガンは解体して保管、再度新礼拝堂で組み立てなければならない。 学院は当初 W.Bosch に その作業を依頼するべく準備を進めていた。
オルガンに関心を持つ事務担当者が居られた。 A氏としよう。 日本オルガン研究会の会員でもある。
学院のオルガニスト(複数)は、このオルガンに不満を持っておられ、学院に意見書を出しておられた。 意見書は某音楽大学B教授の意見を参考に書かれたようである。
B教授は概略 『改良する価値がない ・ ・ ・ 大金を投じるのは犯罪行為に近い』 とまで言われたと聞いている。おそらくB教授は、学院オルガニストの立場を擁護し、オルガニストがより良いオルガンで精進できるようにすることを念頭に、強い表現をされたのであろう。 しかし、もし本気で『犯罪行為に近い』という過激な表現を使ったのであれば、私は疑問を感じる。
このオルガンは、当事の学院関係者の熱意と努力があって初めて実現し、喜びを持って迎えられたオルガンであったことは間違いがない。 そしていつも学院の宝であり続けることに違いはない。 言葉を選ぶべき、と考えるのは私だけであろうか?
オルガンを改良する余地を見つけるのはオルガン製作者であり、いかに演奏に長けていても、それはオルガニストの役目ではない。 その判断はいかなるオルガニストの能力をも越える部分であろう。その意見書の要点は
1. 楽器の品質に強く疑問を持っている
2. このオルガンを売却して、その代金と移築の予算を使って品質のよいオルガンにしてほしい
3. 品質第一、オルガンは小さくてよい
4. 新オルガンが叶わないならば、少なくとも 鍵盤のタッチを軽くして欲しい。
というものであった。学院がこの楽器を選ぶことになった事情は私などには推し計ることもできない。 複雑な諸事情の中で選ばれた楽器にも摂理的な役割がかならずあると思っている。 時には短時間でその役割を終えることもあろう。 しかし、この楽器の役割が終わったと考えるのはあまりにも早急すぎる。 本ページ最終章と併せてご理解ください。
私は、過去に2回、 ある教会とある学校が所有するオルガンの改良に反対したことがある。 費用に対して改善があまり期待できない上に、何年か後には再び大きな費用を必要とすることが目に見えていたからである。
一旦は、このオルガンを売却する努力をされたようである。 売却を検討する当事者のつらい気持は察するに余りがある。
時期が迫っていること、大きなオルガンであるため、引取り先もおのずと限定されてしまう(建築との適合が困難)ため実現しなかったようである。 学院はこのオルガンを継続して使う決断をされた。
同窓生の記憶に残る日々の礼拝、そして日々演奏されてきたこのオルガンを惜しむ心情もあったと聞いている。Boschからは、学院の問い合わせに対して、見積書とともに
鍵盤を軽くするために、『電気を使いましょう』 という非常に安易な提案が返ってきた。
見積書も 合計金額が記されているだけで、費用明細もないものであった。
他に改良の提案は一切無かった。
A氏は学院の問い合わせに対するW.Boschの回答に疑問を抱いた。 このオルガンの保守についてBoschが取ってきた無関心な態度に納得していなかった学院のBoschに対する不信感を増長することとなった。
私に意見を聞いてこられたのは 1999年のことであった。 一度も見たことも聴いたこともないオルガンについて意見を述べるのは難しい。 99年11月7日初めてこのオルガンに対面することとなった。
短時間ではあるが、拝見すると いろいろな問題が読めた。
鍵盤が重たい理由、タッチの性格が極端に悪い理由などが明らかに説明できる。 第一鍵盤単独で弾いてもおそろしく重たく鈍感な鍵盤であった。 これをカプラーで繋いで弾けというのはオルガニストにあまりにも酷である。
鍵盤の重さは測定値だけで決まるものではない。 同じ重さであっても性格の良い悪いがある。 安易に電気化して解決する種類のものではないことは明白であった。整音上の問題も大きかった。 使えない(オルガニストが使う気持ちにならない)音栓がいくつもあった。 40音栓のうち実際に使われていたのは2/3に程度であったろう。 そして、メカニズムの出来は演奏をパイプに反映させるなどということからは程遠いものであった。
A氏に説明をした
鍵盤が重たいのは 風箱の弁が必要以上に大きい そして 必要以上に大きな弁を必要以上に開いているからである。
かなりの音域で、弁の行程は半分以下にできる。
メカニズムの途中で行程を変換し、弁の開きを必要最低限にする。鍵盤は現在の半分以下に軽くなる。
鍵盤に不必要な重りが付いている、これを外すだけでも軽くなる。
HWのメカニズムには非常に長い回転軸(ローラーボード Wellenbrett)がある。 回転軸の剛性が不足しているため、特に低音部では回転軸のねじれを鍵盤で感じてしまう。 これが演奏の妨げとなっている。 回転軸の径を太くするだけで大幅に改善が見込める。
幸い、楽器の工作はしっかりしている、そして無難な作りをしている、その点改良の余地は十分にあると思えた。
学院の信頼は私に傾いてきた。 私もBoschのあまりにも安易・安直な対応には腹立たしいものを感じていた。
学院からの『この作業をしてもらえないか?』という問合せに私は
1. 以降、作業に当たるまでの間のメンテナンスも任せて欲しい、作業開始までの観察期間にしたい。2. 作業は単なる解体移設工事ではなく、改良を含んだものとする。 作業をするからには須藤オルガン工房に依頼したからこそ ・ ・ こうなった、と言っていただけるような仕事をしたい。
3. 観察期間が短いので、解体してから問題が出るかもしれないことを諒解して欲しい。
4. 完了後のメンテナンスを私に任せることを約束してほしい。
5 基本設計は変えることができない。 どれほど努力をしても限界があることは知っておいて欲しい。ことを伝えた。 学院の同意をいただいて、この作業はBoschから離れた。 私としては図面も無い大型の楽器を解体して移築するということに不安が無いではなかった。
『Bosch にはできないことをしてやろうではないか』
という意地でこの仕事を引き受けたようなものであった。 前記B教授の言われる『犯罪行為』に荷担することになるのだが、学院にとって他の選択肢が無くなった以上は、知恵を絞って最大限の努力をするのがオルガン製作者の役目であろう。
どれほど批判があっても、やはりこのオルガンは学院の宝物であるのだから。我々が、この作業を実施することができたのは、
概して日本人よりも西洋のオルガン製作者が信奉される日本において、
Boschとの縁が切れることを承知の上で
・ 私を信頼してくださった学院の英断があった、
・ そして、そのための資金を提供していただけた
・ オルガンをより良くしたいという学院の意思があった
ところに負うのである。どれ一つが欠けても、このプロジェクトは進まなかったことであろう。このオルガン移転などの作業を私が受けることになったことを知ったBoschは、オルガンの図面を学院から直ちに引き上げた。 いわく「多くの知識が詰まっているから」。(全体図のみ、詳細図面は当初より無かった)
Boschは膨大な数のオルガンを作っている。その気があれば膨大な経験の蓄積を得られるはずである。
今回我々がオルガンを解体してみても、 それらを使ってより良いオルガンにしようとするBoschの姿勢は感じられなかった。
Boschの設計者に過去の楽器を観察して考察する意欲があるとも思えなかった。
実にもったいない話である。
私は、製作者が存命するうちは、製作者の同意を得てその人のオルガンに手を触れるべきだと考えている。
ただし、それは製作者の個性と意思が楽器に反映されている種類のオルガンについてである。
このオルガンの生い立ちには、それに関わらなかった者には、計り知れないことが多々あったことであろう。 多くの方々の努力と熱意があったから入ったオルガンに違いない、単純に批判することは避けたい。 しかし、その生い立ちに不幸があったとすれば、それは
『このオルガンの仕様と現在の姿を見ますと、この建築空間とオルガンの整合、そして学校礼拝堂でのオルガンの使われ方を考慮したうえで検討がなされたとは考えにくいのです。 オルガンの大きさとその内容は総合的に判断するべきものです。 オルガニストが 「こういうのが欲しいな」 と思った音栓仕様を書き出して、それを言われるままBoschが作ったのでしょう。 デザイン的にも機構的にも無理をして大きなオルガンを入れるのは誤りと考えます。 音栓数が多いことはオルガニストにとっては魅力的ですが、少ない音栓数のオルガンからオルガニストが工夫を凝らして可能性を引き出した演奏も魅力的です。 講壇正面の後ろに沈み込み、かつ天井に圧迫されたオルガンの姿はなんとも悲しい光景です。』
(1999年12月17日に学院へ提出した文書より引用)ここに出てくるオルガニストは実際に学院で演奏する学院オルガニストではない、某音楽大学のC助教授であった。 C助教授は前記B教授の前任者であった。
助言を与えたC助教授は学院の立場に立って考えていない。 Boschも言われるまま疑問も呈さず、製作者としての意見も述べることもなく、作ってしまったのであろう。 学院はC助教授の助言には(当然ながら)疑問を持たなかったし、持ちようがなかったことであろう。 そしてオルガンが犠牲になり、そこで弾くオルガニストに永く犠牲を強いてきたのだった。
以下、各作業時期に分けて画像を中心に要点をご覧頂こう。
調査 |
99年11月7日に行った調査の記録 |
I 解体1 |
旧礼拝堂解体直前にオルガンを解体し工房へ移送 |
II 工房での作業 未完 |
仮組立を行い、改良の方法を探り 修繕と改良作業を行う |
III 現場での組立 1 未完 |
2002年10月15日からの現場での 組立作業、整音作業、など |
IV 整音全般についてのメモ |
各音栓をどのように整音し直したか メカニズムの調整など の記録 |
使用略語
HW Hauptwerk 主鍵盤部 I 鍵盤
SW Schwellwerk スェル鍵盤部 II 鍵盤
Pos Positiv ポジティフ部 III 鍵盤
Ped ペダル鍵盤部
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Angefangen 15.Nov.2003